イリモノづくり

デザインは身近にありました。要るもの作ろう イリモノづくり。

「贈る」という行為の価値

友人が結婚したり、子どもが生まれたり、家を購入したり。
身の回りの人たちにライフステージの変化が続いて訪れた。
そんな年齢になった。

なによりも自分も結婚したこともあって、贈り物のやりとりをするシーンが何度か訪れ、その際に嬉しさや楽しさを感じ、贈り物ということに対して、少なからず興味を持った。
そしてちょうど、卒制について考えなければならない時期と重なり、卒制のテーマを模索していた中で、読んでいた本によって、贈り物についての新たな知識や発見があり、もう少し掘り下げてみることにした。




日本には、海外に比べて贈与慣習、すなわち贈り物をするイベントが多い。
贈与に関して、このように日本は独自の文化を発展させてきた。
贈与は「贈る」「受け取る」「お返しをする」から成り立つ行為とされているが、特に日本では、お返しをすることに関する義務感が強いと言われている。
それは、義理人情の文化や、八百万の神という宗教文化などが影響しているようである。
「贈与」という言葉よりも「贈答」の方が違和感を覚えず、しっくり感じるのはこのことが理由であると考えられる。



そのような贈与文化の日本において、例えば近代に発生したクリスマスプレゼントや誕生日プレゼントといった、家族や友達に贈る機会は日常に存在している一方で、昔から行われてきたお中元やお歳暮といった慣習は近年、若い世代を中心として減少していると感じる。
この違いは何なのか。
それは贈る対象の違いによるものだと考えた。



人間社会に関して、人間関係の距離を近い順から「私」-「共」-「公」とする。
そうしたとき、近年の贈与対象の主軸は「共」から「私」へと変化してきている。
贈る対象が、家族や仲の良い友人というものである。
お中元やお歳暮は、それよりも少し離れた相手、会社の上司や取引先といった「共」である。
密接な関係にある個人への贈り物は、一方で、生きていく上で欠かせない繋がりである「共」への贈り物が減っている。




「贈る」という行為には、お金での購入や物々交換といった交換行為では成し得ないメリットがある。

  • 意図していないもの、購入しようと思っていなかったものを受け取ることで、それが意識付けや、きっかけになること。
  • 社会的資本(心の繋がり、義理や恩、関係性の構築)が培われること。

贈るという行為には経済市場で見過ごされてきた価値が多分に存在している。
近年、深刻化している心の病気といった社会問題をも解決できる可能性を秘めているのではないだろうか。
贈り物を今この時代にデザインすることが必要だと考えた。




今回、贈り物を行う対象として目を向けたのは「防災」である。
この自然災害の国、日本で、記憶に新しい東日本大震災の後でも、防災としての非常袋の準備率は全国平均で50%程度である。これだけ情報が回っていて、悲惨な状況を誰もが知っているこの時代で。

「必要であることは認識しているのに、確実に起こるかどうか実感がなく行動に移せていない。」

そんな状況が、人々の防災意識が高められない一因であると考えられる。



それならば、贈り物として、防災グッズを贈ることはどうか。
贈る内容としては、必需品の非常袋ではなく、大変な時にほんの僅かでも心にゆとりのもてるような防災グッズを考えようと思う。




もしそんな防災グッズが大切な人から贈られてきたとしたら、、、

  • 防災に関する意識が作られるきっかけにならないだろうか。
  • 自分がすでに準備していたとしても、被災時に心にゆとりのもてる物だとしたら、その空間での被災時のストレスは緩和されるのではないだろうか。
  • そして何よりも、大切な人からの「無事に安心して過ごしてほしい」というメッセージによって、被災という出来事が引き金となって、辛いだけの経験だけで終わらずに、贈ってくれた人との繋がりがより良いものになっていかないだろうか。